1429年の三山統一から、薩摩侵攻、琉球処分、沖縄戦、27年間のアメリカ統治、そして1972年の本土復帰と730まで。沖縄の歩みは日本のどの県とも違います。4択クイズで、年号だけでなくその背景まで解説付きで確認できます。
全10問。あなたは何問わかる?
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「730(ナナサンマル)」とは何が変わった日?
- 車が右側通行から左側通行になった
- 通貨がドルから円になった
- パスポートが不要になった
- 本土との電話が直通になった
答え:車が右側通行から左側通行になった
1978年7月30日、沖縄の車両通行が右側から左側へ一斉に切り替わりました。バス停の位置や標識をひと晩で入れ替える大規模な作業で、この日は「730」と呼ばれ記憶されています。
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沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸したのはいつ、どのあたり?
- 1945年4月1日、読谷・北谷付近の西海岸
- 1944年10月10日、那覇港
- 1945年6月23日、糸満の海岸
- 1945年3月26日、本島南部
答え:1945年4月1日、読谷・北谷付近の西海岸
1945年4月1日、米軍は読谷から北谷にかけての西海岸に上陸しました。3月26日には慶良間諸島に上陸しており、6月23日ごろまで激しい地上戦が続きました。
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沖縄県の「慰霊の日」は何月何日?
- 6月23日
- 8月15日
- 5月15日
- 4月1日
答え:6月23日
6月23日は沖縄戦の組織的な戦闘が終わったとされる日。沖縄県独自の休日で、糸満市の平和祈念公園で追悼式が行われ、学校や職場も休みになります。
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沖縄が日本に復帰したのはいつ?
- 1972年5月15日
- 1965年8月15日
- 1978年7月30日
- 1945年6月23日
答え:1972年5月15日
1972年5月15日、27年間にわたるアメリカ統治が終わり、沖縄は日本に復帰しました。この日を境に通貨がドルから円に切り替わり、県民生活は大きく変わりました。
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首里城にあった「万国津梁の鐘」。「万国津梁」の意味は?
- 世界の架け橋
- 永遠の平和
- 海の恵み
- 王家の繁栄
答え:世界の架け橋
「津梁」は橋のこと。1458年に鋳造された鐘には、琉球が船を操り各国を結ぶ「万国の架け橋」であるという誇りが刻まれています。沖縄の国際性を象徴する言葉として今も引用されます。
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琉球国王が中国の皇帝から正式に王と認められる儀式を何という?
- 冊封
- 朝貢
- 進貢
- 服属
答え:冊封
冊封(さっぽう)。中国から冊封使が派遣され、首里城で儀式が行われました。もてなしのために組踊などの芸能が発達しています。
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ペリー艦隊が琉球に来航したのは何年?
- 1853年
- 1543年
- 1868年
- 1879年
答え:1853年
1853年、日本本土へ向かう前に琉球へ寄港しました。那覇に補給拠点を置き、翌年には琉米修好条約を結んでいます。
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薩摩藩が琉球に侵攻したのは何年?
- 1609年
- 1429年
- 1853年
- 1879年
答え:1609年
1609年、薩摩藩が琉球へ侵攻。以後、琉球は薩摩の支配を受けながらも中国(明・清)との冊封関係を続ける「日中両属」という独特の立場に置かれました。
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琉球の伝統芸能「組踊」を創始した人物は?
- 玉城朝薫
- 尚巴志
- 蔡温
- 護佐丸
答え:玉城朝薫
玉城朝薫(たまぐすく ちょうくん)が1719年、中国からの冊封使をもてなすために創作し初演しました。せりふ・音楽・踊りで構成される歌舞劇で、2010年にユネスコ無形文化遺産に登録されています。
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沖縄戦で日本軍の司令部が置かれていたのは?
- 首里城の地下
- 那覇港の倉庫
- 名護の山中
- 中城城跡
答え:首里城の地下
首里城の地下に総延長1kmほどの壕が掘られ、司令部が置かれました。このため一帯は激しい攻撃を受け、首里城も焼失しています。
